どうして写真”家”っていうんだろう
なんで人なのに家?
かといって、写真人はなんかちょっとスピリチュアルな感じでアレだし
写真屋でもいいのかな
「私、写真屋です」
話がややこしくなるかな
********
“写真家”なので、たまには写真のことを書こうと思う
私のパソコンには、過去に撮ったフィルムの写真がウン何枚もスキャンされて収納されているんだけれど(一枚一枚手作業でよくやってるよなぁと思う、今も含め)当時サンフランシスコで撮っていたフィルム写真、今見ると、良いのもあるにはあるんだけど、確実に当たりが少ない。全然良くない写真の多い事、多い事 。
ついついシャッターを切りすぎてしまうデジタルの写真とフィルムの写真を比べるのは公平性に欠けるので、フィルムの写真を例に取ってるわけだけれども、それでも当たりが少ないのは多分、最近の自分が無駄な写真は最初から撮らなくなったからなんだなと思う
よく、
「写真がうまくなるには、とにかく数を撮れ」
と言うけれど、例えばむやみやたらにシャッター切って、しかも撮ったものを見返さないとかだと多分あんまり成長はしなくて
「写真がうまくなるには、”よく考えながら撮影”する数を増やせ」ってことなんじゃないかと
というのも、最近とあるADさんから「(三浦さん)あんまりシャッター切らないですよね。」と言われて、え、そうなの?と思ったんです。(当たり前だけど、他のカメラマンさんの撮影現場を見る機会なんてないので、そんなこと考えたこともなく)
わたしは最近ついに持ち歩くカメラをデジタルにし(経済的・時間的理由でフィルムはお休み)インスタグラムで日々、3分スピード写真日記のようなことをして楽しんでいますが、それでもやっぱりシャッターはあんまり切ってない気がします。
最近の流行りは「エコ」です。
(※ちなみに某編集長曰く、木村伊兵衛賞を撮った某写真家さんは、仕事の撮影でほとんどシャッター切らず結果10枚くらいしか写真を送ってこなかったと。いやすごい、そこまでいくと、畏敬の念すら覚える。)
*******
話は全然変わって、今朝fbのフィードで流れてきたこの漫画。
読んでみると、なるほど、どうやら私はユルい混合型ADHDらしい
(知らなかったけどADHDは一括りにはせず、注意欠如『AD』型・多動性『H』型・その2つの混合である『ADH』型と分けられてるらしい)
集中するときはかなり集中するのだけど(撮影してるときとか)、家での単調作業とかは本当に30分くらいで飽きて全然捗らない。人が私に話しかけてても、途中から話がまったく頭に入ってこなくなって、全然別のこと考えてることが昔からよくあるし(おかげで聞いているフリだけは上手くなった)じっとしてることは苦手だし、本当に喋りたいだけ喋るし、友達だろうが赤の他人だろうがしょっちゅう人の話に割り込むし
でもまぁ、
多かれ少なかれ、みんなそういうところはあるんじゃないかということで
何とか社会で生きてけてるから、よしとしよう。
*********
ところで昨日ビートルズの映画を観て感動して、今朝ネガスキャン中ビートルズを聞こうと思ってYouTubeを開いたら今流行ってるらしい「逃げ恥の恋ダンス」なるものが出てきて、何となく再生したらダンスがなんか可愛くて、あ、ダンスしたいな、ダンスしよう、と思い立ってそのまま近くのダンス教室をググって、結果出てきた三茶のポールダンススタジオに来週お試しダンスしに行くことにしました。ネガスキャンは全然進んでいません。
あと、この前近所の友達からバカでかくて可愛いキーボードをもらった(というか押し付けられた)ので、キーボードもゆるくやっていきたいです。
さあ11月だね。